7月末に父親が亡くなった話1

7月末に父親が亡くなってからしばらく経った。

最近はずっとやる気が出ておらずやるべきことが十分にできなかった。

でもそれもそろそろ限界なような気がしているので気持ちを収めるためにも少し書くことにする。

父親が亡くなる付近のことを備忘録として書こうとも思ったが、当初より鮮明には思い出せなくなっている。

すぐ思い出せるのはHCUの主任といった人が面会の回数を間違えてこちらに伝えたせいで、父が意識ある内に母が面会できた回数が減ったことだ。

火曜日に会えていればまだ意識がある内に母も父に会えていただろう。

それは大きな心残りであり、いまだに怒りが芽生えることでもある。

書いているうちに少し思い出してきた。

父が亡くなる直前……というか7月の間にも沢山の選択ミスと思えることをしてきた。

その内の一つはクーラーの設置時期。

父も母も二人ともお互いが時期が遅くても安い方がいいならそっちでいい、と言っていた。自分は大丈夫だけど、お父さんは?自分は大丈夫だけど、お母さんは?といった感じでお互いに遠慮していた。

結局安い方にした。クーラーの設置が遅くなったことで父の身体に無理を強いたのでは?という後悔がある。

あの時もっと早くクーラーが届くようにしていたら、もしかしたらそんなすぐにやられなかったのでは?と思ってしまう。

7月の頭まで多少涼しかったのも判断を間違えた理由の一つだ。7月の中旬辺りから急激に暑くなった。

他人にこの後悔を話すと仕方ない、その時はそうしか選べなかったと慰められるが、自分の中にはやっぱり心残りがある。

父は入院する前、プロスピに5万5千円くらい7月に課金をしていた。

それだけ欲しかったキャラがいたのかもしれないが、誰が欲しかったのかは攻略サイトを見てガチャ期間と照らし合わせてみたが、わからなかった。

プロスピに全く詳しくなったから何もわからなかった。

何か欲しかったんだろうなということだけしかわからないのは少し寂しい。

「まだ生きる気満々だったんだな……」と思えてそれはかなり悲しかった。

書いていると本当にいくつも思い出してきた。

・6月の入院のこと(その際に余命は平均して大体1年くらいの人が多いと言われた)

・7月の入院する前の数日間、結構咳をしていたこと

・入院する前日に吉野家のうな重を食べていたこと

・入院当日は特に暑くて、夏バテでご飯を食べられなかったこと

など。

書き進めれば書き進めるほど思い出してくる。

また次回

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